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西武ニューリーダーズ21 西武信用金庫 [2022.11.22]

渋沢栄一の「論語と算盤」に学ぶ

~ニューノーマル時代におけるサスティナブルな社会と企業経営~

講演:渋澤健

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わたくしは渋沢栄一の孫の孫として生をうけました。ただそれほど、渋沢栄一のことを意識して育ったわけではありません。小学校2年から大学生卒業するまでアメリカで育ち、渋沢栄一の世界から遠いところで過ごしておりました。日本に帰国してから外資系の金融機関で働いてきたので、渋沢ワールドからかなり遠いところで仕事をしてまいりました。そういう意味では継ぐ会社があったわけではないので、渋沢栄一のことをすごく意識して生活してきたわけではありません。ただちょっと気になったところがありました。

 

渋沢は500社くらい会社を作ったといわれた人物でありますが、孫の孫の私のところには1株も残ってないなと思いました。ところが、私が40歳の時に会社を立ち上げたことをきっかけに、素晴らしい財産を残してくれていたということに気付かされました。この財産は減ることはない財産で、合法的に相続税もかかりません。その財産とは何かと申しますと「言葉」です。渋沢栄一さんは、たくさんの言葉を残されていたのです。

 

今から150年程前の言葉です。ただその言葉を今の時代の文脈で表現しますと、十分使えるなということに気付かされました。渋沢栄一が残した言葉を読み返しますと、とても怒っていました。その怒りはどこから来るのかと申しますと、日本はもっといい社会になれるだろうと、もっといい経営者、もっといい賃金、つまり現状に満足していない未来志向が常にあったようです。昔の未来思考かもしれません。ただ、そのエッセンスを今の時代で表現すると十分使えるな、使うべきではないのかなと思います。

 

現在の世の中は、いろいろなことが激変している世の中だと思います。その中で求められることがあります。それは、新しい社会に対するイノベーションです。社会的イノベーションという言葉をよく聞きます。ただこれは、今だけの話ではありません。実は今から150年位前に、このような社会的イノベーションがありました。

 

それは日本初の銀行、第一国立銀行が誕生したことです。当時は銀行が存在していなかったのですが、銀行が存在することによって、新しい時代に必要な成長する資金を循環させましょうということになりました。そういう意味では、銀行というスタートアップという存在が、当時の社会的イノベーションだったのです。

 

お金が経済社会に流通するためには紙が必要です。皆さんご存じの王子製紙があります。現在、我々はコミュニケーションといったものを考えると、インターネットなどを考えますが、当時のコミュニケーションの媒体は紙でした。そういった意味では、日本の新たな社会的イノベーションを起こした存在になります。

 

今から150年くらい前は途上国でしたので、外貨を稼ぐ必要がありました。日本から海外に輸出する主力製品としては繊維がありました。ところが、せっかく繊維を海外に輸出しても、それを積んだ船が沈んでしまったら大変なことになりますので、新たなイノベーションが必要だろうと考えて生まれたのが保険です。日本初の保険会社、東京海上が設立されます。これらの会社は現在我々が知っている大企業でありますが、当時からしたら、すべて新しい社会的なイノベーションをもたらしたスタートアップであったと見ることができます。

 

あともう一つのイノベーションがありました。これらの会社のもうひとつの共通点というのは、ひとりのオーナーがいる家業ではなく、大勢の出資者が集まって作った会社、株式会社だったということです。その株式を手放すことも必要なため、その流動性を高めるという意味で東京株式取引場が立ち上がっています。

 

あと当時は、会社が社会に対して声をあげるということは大切であろうと、複数があつまれば世論になるだろということで、商工会議所もできあがったのです。現在のビジネスの中では当たり前の存在ではありますが、これらは日本が新しい時代に入ろうとしている社会、激変している中の社会的イノベーションだったといえると思います。

 

それはビジネスのイノベーションだけではありません。当時は孤児がたくさんいたので、保護するだけでなく、きちんと自立できるように職業訓練を養育院で行ったり、東京女学館を設立したりと、社会事業のイノベーションが行われた時代でした。日本は当時、300年近く鎖国化していた江戸時代から、数十年間の間でちょんまげを切り、西洋の仲間入りをしました。そういう意味では、私が今までお話した社会的イノベーションは、基本的にすべて西洋から取り入れたものであります。

 

ただ、西洋の取り組んだイノベーションで国家を起こすというわけではなく、「士魂商才」という言葉を使っていました。侍みたいな心を持ちましょう、魂をもちましょうということです。侍の元々の役割というのは公を尽くすということなので、公を尽くす魂を持ちながら、新規ビジネスをやりましょうという考えを持っていた若者、それが渋沢栄一であります。日本資本主義の父といわれる人物であります。ただ、本人は資本主義という言葉は使ってはいませんでした。代わりに使っていた言葉がありました。合本主義という表現です。合わせる元です。これは、価値を作る要素を組み合わせることで、新しい価値が生じるという考え方だと思います。

 

その合本主義の意味は何かというと、それはさきほどのスタートアップ、銀行を立ち上げるという例えにヒントがあります。栄一はこんなことを言っています。「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は溝に溜まっている水やぽたぽた垂れているしずくと変わらない。せっかく人を利し、国を富ませる能力があっても効果が現れない」と。

 

つまり、お金の支援が一定ずつぽたぽたぽたぽた垂れ流し状態になっていると力は無いけれど、銀行という新しいスタートアップという器に一滴ずつ垂れてくると、少しずつ水位が上がります。それがいずれ、口からちょろちょろとこぼれ落ちると、細いけれど流れが出てくる。その細い流れが他の細い流れと一緒になると、もっともっと太くなり、いずれは大きな河になると。大きな河になれば、そこにはかなりの力があると。一滴一滴のしずくが大河になるイメージです。それによって、その時代が必要とされている成長性ある資金を社会の隅々に循環させましょうという考えがあったと思います。

 

現在の資本主義は、環境を破壊しているとか、社会の格差を広げている、金持ちが自分のことしか考えていない等、いいイメージを持たない人は多いですよね。渋沢栄一がイメージしていた合本主義というのは、一人だけの勝ち組を作るだけではなく、資源を隅々に循環させることによって、国をお互い豊かにしましょうという考え方だったと思います。つまり、今の言葉で合本主義を表現するとステークホルダー資本主義というのが、今の合本主義といえるのではないかと思っております。

 

ただ、このしずくというのは、お金の話になっていました。もちろんお金が資本として集まることで会社を興すことができますが、渋沢栄一の前に資本が集まってきたとしても、たった1人で100社くらいの会社を作れるわけではありません。多くの方々が、いろいろな形で渋沢栄一に協力してくれて、栄一も多くの方々に協力をさせていただいたと考えますと、この一滴のしずくはお金のしずくだけではなく、ひとりひとりの思い、ひとりひとりの行いという人的資本のしずくともいえます。そのしずくが寄り集まり、大河として流れ始めることで、新しい時代を切り開くことができる…これが渋沢栄一自身が描いていた大河ドラマだと思います。一滴一滴のしずくが大河になっていくという考え方です。

 

渋沢栄一が残した言葉で、一番ある意味で有名な表現というのが「論語と算盤」です。論語というのは、講師の教えのことで、人のあるべき姿を示します。算盤というのは商人が使うツールですから、ビジネスです。この論語と算盤のことを倫理的資本主義、あるいは道徳的資本主義と表現する人が結構いらっしゃいましたし、渋沢栄一自身も道徳経済合一説と表現しました。

 

論語と算盤というのは、1916年(大正5年)に出版された、渋沢栄一の講演集です。今から100年以上前に、渋沢栄一の口から実際に出てきた言葉であります。そこで栄一は、こんなことを言っています。合理的な経営会員一個人が大富豪になっても、社会の多数が貧困に陥るような事業であったならば、どんなものであろうかと。いかにその人が富を積もうが、幸福が継続されないのではないかと言っています。つまり、今の言葉でいえば、1%が大富豪になっても99%が取り残されている世の中は、幸福が継続されないのではないかと。本人の幸福も継続されないという警告の金を、今から100年以上前から鳴らしていたということがいえるのではないかと思います。

 

また別のところで、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に継続することはできない」という表現が残っています。したがって、論語、道徳、算盤、経済、ひとつのかけ離れた存在を一致させることが、今日の極めて大切な勤めであるということを記されています。ここで注目すべきポイントは、渋沢栄一が使っている正しい道理です。正しい法律、正しい制度、正しいルール、正しいコンプライアンスという表現ではなく、正しい道理です。つまり、ルールは当然必要ですが、ルールがあるから…と、思考が停止することがないよう、常に何が正しいかということを考えて行動しなさいということだと思います。

 

今から数年前に日本を代表する自動車会社の外国人経営者がいらっしゃいました。ご本人は自分がやったことは合法であると、自分は無罪だということをずっと主張されました。もしかすると最後の最後で判決のときに、それは合法で無罪だということになったかもしれません。ただ、わたくしが思うに、合法であることはもちろん大事ですが、道理が正しかったのかということも含まれるのではないかと思います。結果的に、ご本人は貧乏になったということはないでしょうが、富の完全の目測はご本人の手から逃れてしまったのではないかと。ルールは大切ですが、ルールの範囲内に留まっているから大丈夫でしょうということだけではないということが正しい道理だと思っています。

 

この2つの教えを合わせて考えてみるなかで、わたくしが注目したのは、幸福の継続と富の継続です。最近ではウェルビーイングという言葉が使われるようになりました。新しい時代はウェルビーイングが大切だよねと。この継続とか永続というキーワードを思ったとき、100年以上前に渋沢さんが「論語と算盤」を合わせて表現したかったことを、今の時代の言葉で表すとサスティナビリティ、持続可能性だなと思ったのです。

 

算盤勘定ができなければ、当然そこにはサスティナビリティはありませんと。ただ自分の算盤だけを見つめて弾いているだけでは、躓いてしまうかもしれない。そして「論語は意味がない」「私はお金儲けは卑しいことだから関係ありません」という考えを持つことはけっこうなことだと思いますが、世の中が激変しているなかで、論語しか読まないというのは乏しいのではないかと思うのです。つまり、栄一がここで言っていることは、論語か算盤ではなく、論語と算盤を両立させなさいということだと思います。未来に向かって前進している車の両輪のようなイメージです。片方が大きくて片方が小さいと、まっすぐ進むことはできない。同じ所をぐるぐるぐるぐる回ってしまいます。そんなイメージではないかと思うのです。

 

私は論語と算盤の現代意義は、サスティナビリティであると思っています。これからの時代にとても大切な教えだと考えだと思うと、もう一つのキーワードが浮かびあがってきました。それはインクルージョンです。1%だけじゃなく99%のインクルージョン、包摂性ある社会を目指すべきだという考え方であり、あきからに渋沢栄一はインクルージョンの考え方だったと思うのです。

 

ただ、栄一が考えていたインクルージョンというのは、みんなが同じになりましょうという結果、平等な社会を目指しているわけではありません。なぜなら、栄一の「論語と算盤」の中に「ただ王道あるのみ」と、断言しているからです。富の分配平均等とは、思いも寄らぬ空想であると言い切っているのです。それはなぜか。おそらく、当時の栄一が見た社会には、いろいろな立場のいろいろな能力や才能を持っていた方々が、たくさんいらっしゃった。そしてなによりも渋沢栄一が重視したポイントは、たくさん努力する人もいれば全く努力しない人もいる。そんな多くのバリエーションのある人々がいるなかで、全員が同じ結果になるというのはないのではないかということです。いうそういう意味では、渋沢栄一は、かなり合理的な考えの持ち主だったと思います。渋沢栄一の言葉を読み返すと、みんなが同じになりましょう、結果、平等になりましょうという言葉は、私が読んだ本の中で見つかったことはありません。

 

一方で栄一は、500社ほどの会社を作ったという話があります。そして東京女学館とか養育院など、社会的事業の設立に関与したのは600件と言われています。件数でいうと、商業を求める会社より社会的事業の数のほうが多かったのです。渋沢栄一が残した実績を見ると、それが当時の新しい時代で目指していた社会だったと思うのです。

 

その社会とは、どのような身分の生まれや立場であったとしても、仮に社会の弱者といわれる方々であったとしても、自分たちが与えられている可能性や才能や能力を、フルに活かして参画できる社会のことです。常にその能力や可能性を向上させて、参画できるような社会です。栄一は、これが新しい時代が目指すべきフェアなインクルーシブな社会であると考えたと思うのです。ですから、結果は平等ではないかもしれない。しかし、機会は平等であるべきとの考え方だったのではないでしょうか。

 

ですから、「論語と算盤」の現代的な意義は、サスティナビリティと機会平等のインクルージョンな社会を目指しましょうという考えではないかと思います。渋沢栄一の考え方、思想というのは、たった一言で表現できると思っています。今日の講演で、みなさんにお持ち帰りいただきたいことは、たった一言しかございません。栄一は、我々に「と」の力を持ちましょうと言ったと思います。「と」とはandです。

 

もう一つ、大切な力があります。それは「か」の力です。ORですね。0か1か白か黒か勝ちか負けか。これは区別して選別して進める力なので、効率を高めます。生産性を高める機会ですから、組織運営には大切な力だと思います。ただ、「か」の力だけだと、存在しているものを見比べて進めるているだけということになりますので、「か」だけの力で新しいクリエーション想像が生じているかと申しますと、案外そうではないかもしれない。

 

新しいクリエーションが必要なのかと考えたとき、今日の講演の大きなテーマである時代背景が関わってきます。時代は常に変化するものです。そのなかで同じ事をずっとやっていきましょうという考えもあるかもしれませんが、それは社会であろうが、会社であろうが、生き物であろうが、新しい時代になかなか適応できないということもあると思います。ですから、進化するために何が必要かというと、新しい時代にはその時代に合った新しいクリエーション、想像が常に生じているのではないかと思うのです。新しいクリエーションのために必要なのが「と」の力だったと思います。だた、この「と」の力というのは一見、矛盾に見えます。そもそもどうやって「論語と算盤」を一緒にするんですか?無理でしょうと。まず、算盤をしっかりやってから論語をやりましょうと。俺は論語を先にするのだ、算盤なんて後でいいんだよと。ただ、栄一が求めていることは繰り返しになりますが、論語か算盤ではなく、論語と算盤です。それはそうかもしれないけれど、きれいごとですよねと、そこで思考が停止してしまうと、残念ながら「と」の力がちょっと足りなかったかもしれないと。

 

私がイメージする「と」の力とは、一見矛盾していて、そこに答えはない、やっても無理、ムダでしょう、前例がない、といった状態でも諦めず、忍耐強く試行錯誤を繰り返すことが大事ということです。諦めずに試行錯誤を繰り返すと、ある瞬間この角度この動作ならフィットするのではないかと、ひらめきが生じるかもしれません。合わせようとしても何も浮かばないかもしれないけれど、ある環境が整うと、ある触媒みたいなものを増すことができる。一気に科学反応が起きて、新しい物質、新しい価値が生まれる…そんなイメージだと思っています。これからの時代にとても大切なノウハウではないかと思います。

 

それはそうかもしれないけど、渋沢栄一みたいな人だったからできたわけで、普通の人は無理ですよねと思うかもしれません。確かに、そんな簡単なことではなく、毎回できることではないかもしれない。ただ、我々日本人は、この「と」の力の感性がかなり豊かなのではないかと思うことがありました。

 

それは、お昼にわたしの好物であるカレーうどんを食べていた時でした。冷静に考えてみると、これはめちゃくちゃな食べ物だなと思ったんですね。だってカレーはインドから発祥したものです。そして恐らく植民地の関係でイギリスに渡って、日本に入ったのではないかと。おうどんは麺類なので、発祥の地は中国大陸です。ですから、日本人はカレーとうどんという全く別の異国からの異分身を同じお鍋に入れちゃったのです。そこにお出汁を足した。そしてこれが大事なポイントなのですが、かき混ぜるとおいしいじゃないですか。これはすごいクリエーションだ!「と」の力だ!と、感動したのです。ただ、次の瞬間おかしかったことがありました。もしこちらのほうにカレーを規制するお役所カレー省があって、こちらにはうどんのルールを納めるうどん省があって、ここにはお出汁を保護するお出汁省があったら、カレーうどんは作らせてもらえなかったかもしれない。そんな不要な心配を起こしてしまったのです。なぜなら日本人は、食材に関してはいろんな壁を設けていないため、B級グルメから超一流の高級料理まで、世界一おいしい食事を楽しむことができているわけじゃないですか。元々我々が持っている「と」の部分の感性をフルに活かせている。

 

ただ、その感性に恵まれながらも、使っていないことがあると思います。例えば、金融業界。金融業界は、いろいろな規制がある業界です。規制があるということは壁がある。当然我々は壁を越えることはしてはいけません。規制にさわるだけでもイヤだなと萎縮しちゃう傾向が、数十年続いているわけです。そういう状態が続いている金融業界が必要としている資源は何かと言いますと、ひとつはもちろん人ですが、もうひとつの資源の投与はお金ですよね。じゃあ日本人はお金という資源がない国か? 我々一般個人の現預金が、現在1000兆円積み上がっています。法人を合わせると300兆円くらいになります。じつは、日本には莫大な活用できる資源があるのですが、それが大河どころか巨大な溜まり池となって、そこで動いていない。日本の金融機関が世界一と評価されたことは、過去10年20年30年ないと思うのですが、そういう意味では資源に恵まれながらも「と」の力の感性をフルに活かせていなかったのかもしれません。

 

ただ、もちろん現在と30年前の金融機関と比べて、時代は変わっています。全部自前でできるということは限界があるので、いろいろなコミュニティとの競合とか、違う業種のITとの競合など、新しい価値を作りましょうという時代の流れはいい方向に流れていると思います。そこは心強いと思うのですが、規制だけでなく組織の壁とか、前例主義とか、いろいろな壁に捕われている業界だなとつくづく思います。

 

これは金業界に限らず、どの業種どの地域でも、壁みたいなものは立ち上がります。壁なんか、とっぱらえということではありません。ずっとやってきた大切なことがあるから、当然そこに壁が立ち上がるのです。ただ、そこの内側にいる我々が、壁の向こう側には何があるんだろうね?という好奇心を、どうやったら越えることができるのだろうということが大切ではないかと。ただただ、そこの枠の中に留まっていると、残念ながら我々が元々持っていた「と」の力の感性をフルに活かせていないのかもしれない。その意識を持つ大事な時代に入ってきたのではないかなと思っています。ですから「と」の力というのは、一見関係なさそうだけど、そこから合わせて価値を作るという重要な要素だと思っております。

 

じつはもうひとつ、「と」の力の大事な側面があると思っています。それは何かと申しますと、SDGsであります。これは2015年に、193カ国が参加する総会で満場一致で採択された、全類共通の目標のことです。2030年までに誰一人も取り残さない世の中を作るために、1から17の目標ゴールが設定され、それを実現させるために169のターゲットを設けられています。ではなぜ、大企業だけでなく中小企業、スタートアップも含め、地域社会がSDGsを意識すべきかと考えたとき、誰ひとりも取り残さないという状態を企業、地域社会を兼ねて行うことは、とても大切なことだと思っております。

 

ただ、誰一人も取り残さないという人道的目標は、論語側の話ですよね。企業は、論語だけでは食っていけないから、算盤をしなければいけない。まさにその通りだと思うのです。算盤は何かというと、売り上げ、利益のことだと思うのですが、そもそも会社が社会において、価値ある物をきちんと提供できなければ、きちんとした売り上げが立つことはないですし、売り上げがなければ利益もありません。では、算盤の源がどこにあるかというと、社会における企業の価値創造、クリエーションだと思うのです。ですから、SDGsがなぜ企業地域社会に大切かと考えたとき、いいことをしましょうねというのは大事なことだと思うのです。

 

ですが、それだけに留まることなく、SDGsの中には新たな価値創造のヒントがたくさん含まれているかもしれない。それを見つけるツールなのだという意識を持つことも大事ではないかと思います。SDGsは2030年までに達成しましょうという目標ですが、かけ声としてはいい感じでクリアしていくと思いますが、実際できるの?といったときに、「どうなんだろうね」というのが本音だと思います。現状から過去、現在、未来の延長線上でSDGSを達成できる世の中を描くことができないかもしれない。だから世のSDGSで使われる表現があります。ムーンショットという表現です。月を撃つ。

 

元々は1961年に、当時大統領に就任されているジョン・F・ケネディの演説からきているようです。当時、ケネディ大統領は宣言します。60年代以内に我々アメリカは月面に人類を送ると。みんなは驚いて飛躍した話だと、莫大な費用がかかると、いろいろな否定的な声があがりました。だけど、結果的にそれが1969年に実現されました。ムーンショットは、現在できていない状態だけど、それを月に撃つ、そして出来たという状態からバックキャスティングしましょうという考え方であります。逆算のような感覚ですね。でも、普通は未来を考えるとき、バックキャストではなくフォアキャストで見られています。未来を予測することが普通じゃないですか。どう未来を予測するかというと、過去の事例があって現在があって働いている。経営資源があり、未来を生きましょうというのがフォアキャストです。資源を積み重ねていく未来なので、フォアキャストも大事なことです。ただ、1年~3年くらいは見えるかもしれないけど、その先はなかなか見えないねっていうことだと思うのです。

 

一方、ムーンショットというのは、遠いところで出来ていますっていう視点です。そうすると何が期待できるかと申しますと、積み重ねていく未来を予測する視点です。達成できないのは格好悪いから、できるものしかテーブルに乗せない傾向があるのだと思うのです。

 

だけど、将来出来ていますというバックキャスティングですと、フォアキャスティングではテーブルに乗せなかったような案件、見えなかったような市場はできていますから、いろいろな前例がそこで作れるわけです。この視点と、もともとやっている視点が合ったところには「と」の力、つまり新しい企業のそれまで存在しなかった新しい価値が生まれる。ですから「と」の力というのは、現状できていないけど飛躍と現実とつなげるという力でもあると思います。こういう話をすると、ケネディ大統領だからできたわけで、普通の人には無理ですと。これも簡単なことではないのかもしれない。

 

ただ、今から10年以上前、ある生物学者の話で教わった面白い話があります。今地球では約175万種くらいの生物が存在しているらしいのですが、そのなかで人類はたった1種で、我々しか持っていない特徴があるらしいのです。他の生物は持っていないということは、生きるためには必要な特徴ではないかもしれない。だけど人類だけがもっている特徴、能力、才能らしいのです。それは何かと申しますと、チンパンジーとかゴリラとかはイマジネーションがないらしいのです。想像力がないということは、彼らが所属しているのはたったひとつしかない。「今ここ」という所属です。未来は予測できるかもしれませんが、今見えているとこから見えている未来は、そんなにないと思うのです。

 

この話は40年以上ゴリラを研究した第一人者であり、京都大学の前総長でありました山極先生から聞いた話なのですが、ゴリラが所属しているのはたったひとつしかないと。それは家族だと。チンパンジーは家族ではなく集団らしいのですが、我々人間は自分達の家族に所属し、自分達の会社組織に準じています。ニューリーダー、団体、クラブに所属しています。自分たちの地域社会に所属していますし、国に所属していますし、地球にも所属していますね。人間というのは、同時にいろいろなところに所属できるという特徴を持っている。それがイマジネーションなのです。

 

2030年のムーンショットという話をしましたが、2年前に日本政府はさらなるムーンショットを打ってくれました。2050年までにカーボンニュートラル社会を実現させるというムーンショットです。いろいろな意見があがりました。「無理だと思う」「カーボンニュートラル? いくらお金がかかっていると思うんだよ」という声があったと思います。2050年といわれたときに、正直自分が居るかどうかもわからないなと思いました。だけど同時に、もしカーボンニュートラルな社会を実現できているのであれば、どんな生活だろうというイマジネーションが頭に入ったと思います。2050年には自分が居るかわからないけれど、2030年は自分の子ども達や孫達の世代が暮らしている時代で、どんな暮らしなのだろうというイマジネーションが湧き、ちょっと頭に入った瞬間だったと思います。わたくしは、ここが人類の特徴だと思っています。古代から今できていない状態だけど、これがあったらどうなんだろうと考えて未来を求める。そして現実とつなげることができていた。毎回ではないけど、連鎖が続くことができたから、群れの状態から集落を作り村を作り町を作り都会を作り、文化、分野を築くことができたのではないかと思うのです。つまり、人間というのは「今ここ」なのだけど、頭の中では地球の反対でも宇宙の中でも、過去や未来にも行ける。それは人間にしかできない人間力だったのです。

 

今、AIが我々の暮らしや仕事を変えています。間違いなくゲームチェンジが起こっています。ただ、AIの思考回路というのは、莫大なデータを蓄積して目先のことを予測することを積み重ねるだけで、今までのAIの思考回路を飛躍することは出来ていません。

 

つまり、飛躍と現実をつなげるのは人間にしかできていない人間力なのです。わたくしなんて教わったことはすぐに忘れるので、よく怒られます。全部覚えてないのに「答えはこれだよね」と、断言しちゃうのですが、これが時々当たるのです。未来はこうだよねと、特別な予測ができる。これが人間力だと思います。

 

ということは、渋沢栄一の「論語と算盤」「と」の力は何かというと、関係のないものを合わせて価値を作りましょう、現状から飛躍してつなげましょうということだと思います。他の動物やAIがにはない人間力。この人間力さえきちんと活用すれば、時代環境がどのように激変したとしても必ず適用できる。適用だけでなく、1歩2歩先に歩める。つまり社会的イノベーションを起こすことができる。そんなメッセージが、この「と」の力に含まれると思います。人間力を生み出しましょうというメッセージです。

 

さて、我々の未来のことについて一緒に考えて共有させていただきたいのですが、人間はけっこう怠け者でもありまして、一番簡単な答えを求める傾向があると思うのです。未来を描くのに、一番簡単な答えは一直線で未来を描くことだと思うのです。ですから、30年前のバブルの時代は、このまま右肩上がりが続くよねと、そういう未来を描いていたわけですが、そうならなかった。現在は少子高齢化だから未来はダメでしょうと、ずっと沈んで行く未来を描いている傾向があるかと思うのです。

 

でもわたくしは、未来は一直線で到来するものではないと思っています。そのヒントがこの言葉です。「歴史は繰りかえさないが、韻を踏む」。これはアメリカで有名な作家のマーク・トウェインが残したといわれている名言です。歴史はそのまま繰り返すことはないのかもしれない。ただ、そこにはリズム感があると解釈しております。過去のリズム感を観測できるのであれば、その時代のリズム感は将来に通じる可能性はあるよねと。つまりリズム感は収益性になります。

 

この近代化した社会を振り返ったとき、どのような収益性があったのか。1990年はバブルのピークであります。わたくしは1961年生まれですが、生まれてから約30年間日本は高度成長の時代に恵まれました。ではその前の30年はどういう時代であったかといいますと、戦争です。戦争って破壊ですよね。大勢の方々の悲劇があった悲しい時代です。二度と繰り返してはならない。ただ、その時代は破壊、つまりグレートリセットがあったから、次の時代がニューノーマルとして反映したという因果関係が描けるかもしれない。

 

ではその前の30年はどういう時代であったか。この時代の冒頭に日露戦争がありました。この戦争は、当時、後進国であった日本が当時の先進国に追いついたということを世界に示した大きな出来事となりました。この時代はおそらく、当時の日本の歴史において一般市民が最も豊かな生活を暮らす事ができていた繁栄の時代だったと言えると思うのです。

 

では、その30年前はどういう時代だったかというと、維新です。維新というのは、その前に270年間ぐらい続いた江戸時代の常識が破壊された時代です。その破壊の中から、我々が現在知っている経済社会の基盤が生まれてきたと考えますと、非常に大雑把な時代の考えではありますけれど、明治維新以降、このように日本は30年の破壊があり、それが次の30年が繁栄するのです。繁栄はいいことですが、人間は心が弱いので傲慢が生じてしまい、次の時代に戦争という破壊を招いてしまったのかもしれない。そこでまたリセットされて次の時代が繁栄します。

 

80年代後半頃、「日本はもうアメリカやヨーロッパに学ぶことはないよね」という声が聞こえてきました。かなりおごりがあったんじゃないですかね。気がついたら1990年以降、日本は失われた10年に入ったことに気付かされました。それが20年30年と続くと、もう無力感ですね。お手上げ状態というのがずっと続いてきたという時代だったと思います。でも、まだリズム感が続いているとするなら、1990年以降の日本というのは失われた時代ではなくて、もしかすると破壊された時代かもしれない。もしこのカウントが正しければ、そろそろ新しい時代が始まってもいいはずです。

 

さて、ニューリーダーのみなさん、これを信じるか信じないか。日本の課題があることは間違いないです。ただ、眺めているとリズム感が見えてくると思います。2019年の12月頃、ちょっと心配になりました。自分の生活や仕事の常識が変わっていることは肌で感じ取ることはたくさんあったのですが、徹底的な破壊の瞬間が来ないなと。そしたら2020年が明けてコロナ渦になりました。もちろん前の時代の世界の戦争みたいなものではないですが、世界で同じタイミングでピタッと止まった瞬間はないと思うのです。その後、ウィズコロナでどうやって我々の生活や仕事を取り戻すことができるのだろうと、まだ模索中ですよね。

 

10年前にコロナ禍がくるとは予言できていませんでしたが、ある現象を見て、2020年というのは日本にとって大事な時代の節目になると思ったことがありました。それまでの10年20年30年に比べると、そのあとの10年20年30年と全く異なる世の中になると感じ取ることができたのです。何を眺めてそう思ったかと申しますと、日本の人口動態だったのです。昭和に入った時代の1930年は、ピラミッド型社会を見て日本の成功体験に気付くことができたと思います。1990年になると平成という新しい時代が始まり、団塊ジュニアが明らかに増えて、ひょうたん型社会が続いたのが過去30年間だと思います。

 

そして2020年。社会の節目、令和という新しい時代が始まっていますが、これからの令和の時代はどうなるのか。昭和はピラミッド型社会、平成はひょうたん型社会、令和は一気に逆ピラミッド型社会になると思うのです。今までに見たことがなかった社会の規模、スケールですね。じつは世代交代が始まっていると思うのです。今の成功体験を作ってくださった世代、あきらかに昭和時代に成功体験を作った世代から、次の世代へのバトンタッチが始まり、今までと全く異なる社会環境が作られていると思います。これは人口動態なので、ほぼこの通り現実となる我々の見える未来なのです。2022年11月の未来を眺めてみると、2つの未来があると思っています。1つは必ず起こる見える未来、もう一つは見えない未来です。なぜ見えない未来があるかと申しますと、そこには不確実性があるからです。不確実性とは、悪いほうに転ぶかもしれないけど、いいほうにも転ぶかもしれない。これが不確実性です。悪いほうに転ぶのでしかないのであれば、それはおそらく確実なので見えるはずです。どっちに転ぶかわからないから見えない。見えない未来で期待している世代はどこかと申しますと、30代20代10代のミレニアムというZ世代です。

 

なぜ期待しているかというと、2050年には、今の30代が60代になり、20代が50代、10代が40代になり、社会のど真ん中に居ることは間違いない。でも、この世代の人口が少ないことが問題だと。ただ、ミレニアムというZ世代にいわせると、インターネットが常時繋がっていない状態を知らず、常に繋がっているのが当たり前なデジタルネイティブといわれています。インターネットというのは一部の国を除き、国境がないことが特徴です。いろいろなテクノロジーによって、言語の壁がどんどん低くなっていきました。10年前の自動翻訳とか通訳はぐちゃぐちゃでしたが、かなりレベルアップしています。だから言語の問題はないかもしれない。もしこの世代が、自分は日本で暮らして仕事をしていますが、インターネットを通じて世界と繋がっていますと。インターネットとイマジネーションを使って国境を取っ払ってしまうと、じつはこの世代は一番人口が多いのです。わたくしがなぜアフリカに関心を持っているかというと、2050年には4人に1人がアフリカ人になる。なぜかというと中央にいるのがZ世代なのです。めちゃくちゃ若い。この世代はある意味で皆同じデジタルネイティブで、繋がるのです。ということは、この世代というのはこれから一番人口が多くて、新しい時代を新しい価値観で新しい成功体験を十分作れる可能性がある世代だと思います。

 

多くの人々が何を求めているかと考えると、仕事に就きたい、稼いで家族を養いたいという、我々が当たり前と思っていることです。ただ、たくさんの社会的環境の問題を抱えている。だからSDGsだと思うのです。わたくしは日本には大企業だけではなく、中小企業、スタートアップも含めて、我々がいる東京だけでなく日本全国いろいろな形で、直接的間接的に多くの国の多くの人々の暮らしを豊かにできる、持続可能な社会を築くことができると思うのです。もしこれからの時代に、社会の多くの国々の多くの人々から、今の自分たちの生活が成り立っているのは、日本が伴走してくれているからだよねという意識が広まった世の中であれば、どうでしょう。国土の中の我々の人口が少なくなったとしても、十分そこには繁栄する時代を築くことができるのではないかと思っております。かなり飛躍していますが、ここで「と」の力が必要なのではないかと思うのです。

 

一方で、今のまま続けば十分だと現状維持というお考えがあることも確かです。だけど現状維持で見える将来の道が辿り着く場所は1カ所だけ。それは見える未来です。どっちの未来を目指すほうが魅力的に見えますか。

 

今までの日本には成功体験がありました。主に昭和時代が作ったMade in Japanです。先進国の大量消費を満たす大量生産で日本は大成功しました。あまりにも成功したからアメリカにボコボコにされたのです。バッシングが始まったので、平成が始まる頃、我々はモデルを変えました。Made by Japanという、とても合理的なモデルにチェンジしたのです。ただ、平成はバッシングで始まりましたが、終わる頃には日本は素通りされた、パッシングにあったと考えたとき、これからの時代は新しい目指すべき成功体験があると思っています。それはMade in JapanだけでなくMade by Japanだけでなく、Made with Japanです。日本と一緒に豊かな生活持続可能な社会を作りましょうというモデルです。キーワードはwithであります。

 

先程から私は渋沢栄一の「と」の力は、安堵と表現しました。withも「と」です。日本と一緒に豊かな生活、社会を共に作りましょうという考え方です。withいうのは、先程のカレーうどんの例えの様に、お出汁みたいな存在で十分じゃないですかね。気がついたら君達がそこにいて、我々の生活を良くしてくれたんだよねという存在でも十分withじゃないかなと思っています。

 

ただ、同じ環境にずっと居ると、同じスイッチがオンになり同じスイッチがオフになると思います。じゃあ我々が、これからの社会の主役になるべき若い人たちに、スイッチが入るような社会を組織の中で作っていますか? これが重要なポイントであり、我々全員が抱えている宿題ではないかと。もしかすると、その宿題を終わらせていないのではないかい?と、渋沢栄一が戻ってきてくれたのではないかと思っております。

【 渋澤健 プロフィール 】

シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役。コモンズ投信株式会社取締役会長。
「論語と算盤」経営塾 主宰 http:shibusawa-co.jp/school

著書に『渋沢栄一 100の教訓』『SDGs投資』『渋沢栄一の折れない心をつくる33の教え』『銀行員のための「論語と算盤」とSDGs』、他。

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